太閤/100名城:No59 姫路城

No59 姫路城

所在地:兵庫県姫路市

城地種類:平山城

築城年代:1580年、1601年

築城者:羽柴秀吉池田輝政

太閤との関係:居城

世界遺産、国宝の姫路城。秀吉の中国攻めの際、黒田孝高黒田官兵衛)が居城だった姫路城を献上。その後、秀吉が改修を行い、3層の天守閣等を築いたそう。秀吉の中国攻めの拠点となったお城。太閤殿下以降の城主については省略(笑)

見どころの多いお城ではあるのですが、まずはその見た目が美しいですよね。The お城と言う感じで。姫路城で秀吉に関するエピソードで一番好きなのはやはり、本能寺の変後、備中高松城から軍を率いて引き返した秀吉が、この城で蔵の中の食料・金銀全てを部下に分配し、士気を高めた話。人の心を掴んで動かすのに長けたと言われる秀吉をよく表す話だと思いますし、天下取りへの野心とあのような状況で冷静な判断ができる秀吉の有能さがでているなぁと思います。

語り始めたとまらないので、少しだけ姫路城のご紹介。ぜひ本物を見てほしい。美しいという表現が似合うお城でした。あと、見どころ多すぎて写真載せきれないです。。

 

三の丸広場から見た天守

三国堀

外部のどこともつながっていない溜め池のような四角いお堀。地下の湧き水が地表に顔を出して溜まっているもので、水位は日によって変化しているそうです。ここからみた天守閣も美しい。。

菱の門

城内で最も大きい門。両柱の冠木に木彫りの菱の紋があることから名づけられとか。安土桃山時代の優雅な雰囲気を残した門。

扇の勾配(石垣)

上にいくほど反り上がる形状になっている石垣。敵が容易によじ登るのを防ぐための構造。

るノ門

姫路城には門がとにかく多いのですが、(敵の侵入を拒む工夫のようです)その中で特に面白かったのがこの門。石垣をくり抜くタイプ。敵が侵入したら石垣そのものを崩して防衛に使えるとのことで、よく考えられているなぁと思いました。

ロの渡櫓

行った時期がよくて非公開部分の特別公開にあたり、いくつか普段はいけない部分も見ることができました!そのうちの1つ。何かの撮影にも使われたとのことでした

ここからは太閤殿下に関するターン。

姥ヶ石

秀吉が三層の天守を築いていたときに城の石垣の石が集まらず、苦労しているという話が広まっていました。城下で焼餅を売っていた貧しい老婆がそれを聞き、古くなった石臼を差し出し、これを知った秀吉は大変喜び、石臼を現在の乾小天守北側の石垣に使ったとのこと。そして、この話はたちまち評判となり、人々が競って石を寄進したため、工事が順調に進んだといわれています。

油壁

工法から秀吉時代の遺構と推測されています

継ぎ目のある石垣

りの一渡櫓と二渡櫓を支える石垣。注意深くみると線が走っていて右と左で石垣の積み上げ方が違うんです。線の右手(南)が秀吉時代のものだそうです。

家紋

城のところどころに秀吉の家紋が残されています。以下は瓦にある紋

100名城スタンプ