書寫山秀吉本陣
太閤との関係:戦
秀吉の中国攻めの本陣です。中国攻めで秀吉は、三木城の別所と毛利に挟まれ、窮地に立たされます。その窮地を脱する術として、黒田官兵衛が秀吉に「書写山圓教寺へ本陣を移す」ことを進言し、秀吉は、助言を受け入れて書寫山に本陣を構えたと言われていいます。
写真は本陣と言われる場所からみた風景。ここから太閤殿下は何を思ったのでしょうか。
書寫山圓教寺
書寫山といえば圓教寺です。西国二十七番札所であり、「西の比叡山」とも呼ばれる天台宗のお寺。966年に性空上人によって創建されたと言い伝えられている歴史の深いお寺です。そのため、国の重要指定文化財に指定されている建物も多く、見ごたえ抜群のお寺です。境内の中は広く、そして閑。。歩くだけで身も心も癒される空間でした。本当に貴重な建物が多いのですが、いくつか代表的なものだけ、写真で紹介いたします。
摩尼殿
摩尼(マニ)とは梵語の如意とのことのようです。970年創建の建物であり、岩山の中腹に舞台造りの建物
三之堂
大講堂・食堂・常行堂がコの字に並んでいて、それを合わせて三之堂と呼ぶらしいです。国の指定重要文化財。写真は真ん中が食堂、左が常行堂、右が大講堂です。
護法堂と拝殿
奥之院の開山堂前にある二つの小さな神社とその拝殿。共に国の指定重要文化財。
金剛堂
室町時代の建物、三間四方の小堂で、普賢院という塔頭の持仏堂であったと言われているそうです。こちらも国の指定重要文化財。
開山堂
最後はやはりこちら。文字通り圓教寺開山の性空上人をまつる堂です。言わずもがな国の指定重要文化財。